2015 年 3 月 のアーカイブ

植松豊

2015 年 3 月 26 日 木曜日

遠い昔。

1997年のことだから、そう言っても言い過ぎじゃない。
その年の夏にデビューして、数年の間に3枚のアルバムを作った。
僕の音楽人としてのまともな活動は、その3枚のアルバムを出してた頃にほぼ限定される。
(その後は自力が及ばず、尻すぼみになっていき、メジャーから離れた)

植松さんの葬儀から帰って、とりあえず喪服を脱いで、無意識にタバコを探した。
禁煙したばかりだった。
2週間前に突発性難聴と診断され、医者にこの機会にどうですかヤメラレテハ、と促されるとすぐ鵜呑みにするのよね〜俺は。
植松さんは、その頃、俺がまともな音楽活動してた頃、ハードなスモーカーだった。写真にも手元に置いてある。植松さんだけじゃないか。俺も、荻Pも、英吉さんも、だいたい吸ってた。

谷口崇のその3枚のアルバム制作において、3枚すべてに深く関わったのは、僕以外にはエンジニアである植松さんだけで、それはエンジニアという仕事柄、一緒に過ごす時間は当然長くなるし、だからといってなあなあになるような人ではなかった。俺とはね。
だって、スタジオ以外で植松さんに会ったことがない。
一度だけライブを見にきてくれたことがあったかもしれない。
3枚目を作ってからは会っていなかった。
数年前にフェイスブック上でつながって、会いたいですね〜ってメッセージをやりとりし、結局再会できなかった。

コーラス録りの日ってのがあって、メインの歌を録る一つ前なんですが、他の楽器はもうほぼ録り終わってるので、スタジオには僕と荻Pと植松さんとアシスタントエンジニアの4人。
コーラスアレンジなんか考えてきてないから、思いつきで進めていく。
ボーカルブースを真っ暗にして、外とのやり取りはヘッドフォンのみ。
じゃ あまず、1サビからいこうかな、2つ前(2小節前)から出して下さい、一度聞かせて下さい、録って下さい、もう一回同じとこお願いします、もう一回、 ん〜、もう一回、今度1つ前から出して、もう一回、うん、今のダブリます、一つ前からでお願いします、一度聞かせて下さい、左に振ってもらっていいです か、お願いします、もう一回、OK、じゃあ、その下いきます、一つ前で、、、、
頭出ししてくれてたのは、多分アシスタントの子だけど、唯一の外部とのやりとりの窓口にはいつも植松さんがいた。

考えてみたら、僕にとってのレコーディングエンジニアは、イコール植松豊なのだ。
いなくなってから気づくのって、ほんとに嫌なものだ。
他のエンジニアをあんまり知らないけど、植松さんがよかった。
また一緒に音楽作りたかった。
祭壇に三岳が置いてあった。
俺も三岳好きだよ、昔は全然飲めなかったけど、今なら絶対楽しく飲めるのに。

最後に喪主からの挨拶といって、奥さんがマイクの前に立たれた。
植松さんの車はオペルで、それも緑色だったなぁ。
中のシートがえらいかわいくて、奥さんの趣味だと言い訳してた。
奥さんの横には息子さんがいて、多分中学3年とか高校1年とかに見えたけど、
挨拶の途中で奥さんが言葉に詰まり、メモ用紙をとなりの息子に託し、オロオロしながらもがんばって代わりにしゃべり始めた。

「あっ…。」

僕以外にもそう思った人いるはずだ。
息子さんの震える声の中に、植松さんがいた。
話し方、早さ、強弱、似てるというか、似てる以上の何か。
時間の圧力が和らぎ、18年前にすっと戻った感じがあった。
あれ、多分、植松さん一緒にしゃべってたんだと、思う。
「あまりにも急なことで、多分自分もびっくりしてるんじゃないか」って参列した知り合いから聞いた。
きっと死ぬまで生きたんだと思う。
思うけど、急だよね、ほんと。
死んじゃったら、話せないよ。

仕方ないから、もう新しいの一緒に録れないから、
今までのアルバムも時々は聴き返します。
記憶を辿るしかないじゃん。

そんで、違う人ともっといいアルバム作ってやる。